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VOL18:奄美の島唄 (H21.2.27)
島唄とは?

 奄美には「島唄」と呼ばれる独特な民謡があります。シマは日常的に使われている島という意味だけではなく、故郷という意味も含んでおり、三味線(蛇皮線)の伴奏とともに歌われる事が多いようです。もともとは奄美固有の民謡を指していましたが、近年では奄美の民謡と琉球民謡の総称、もしくは琉球民謡の別名として使われるようになり、さらには琉球民謡の影響を受けた楽曲まで島唄として扱われるようになりました。1992年にはTHE BOOMの島唄がで歌謡曲として大ブレイクし、その影響からか島唄という言葉は全国的にもポピュラーになってきました。

地域で異なる島唄の特徴

 島唄を聴いた事がある方もおられると思いますが、その曲調ははゆったりと曲もあれば、時には激しく変化に富んだ曲もあります。もともと奄美諸島は薩摩藩が琉球(沖縄)へ侵攻する際に通過するので「道の島々」とも呼ばれ、本土と琉球それぞれ違った文化が混在する地域でもありました。そのため場所によって唄われる島唄も異なっていたようです。同じ曲名でも地域によって唄い方が若干違う場合があります。

 ◆徳之島以北 本土と同じ五音音階の陽音階(律音階。ヨナ抜き音階)であり、裏声を多用したり音域が非常に広いなど独特の歌唱法やメロディーをもつため、本土の民謡とは趣を大きく異にする。
 ◆沖永良部島以南 琉球音階が用いられ琉歌の面を持ち、琉球民謡の一翼を担う。
詩形は双方とも八・八・八・六(サンパチロク)となることが多く琉歌に属する。(日本民謡は七・七・七・五)

また奄美大島の島唄は、北部の笠利節(かさんぶし)と南部の東節(ひぎゃぶし)の2つに大別されます。
笠利節は、ゆったりとした調子で深みのある荘重な表現が特徴であり、東節は激しく変化に富んだ節回しで情緒的な表現が特徴です。ちなみに歌手の元ちとせ、中孝介は、東節の系統にあたります。あの独特で美しい裏声が用いられた理由として、@おなり神(うなり神)信仰による女性の声への願望 A薩摩藩統治下では歌詞を素直に表現できなかったため B山合いの地形によるコミュニケーション手段として C単純に音楽的な高音域を補うため D神聖な行為として関連付けされていたため などの説があります。

島唄発祥の理由

外国では黒人が奴隷として扱われていた時代に、黒人音楽(ブルース)などが生まれたように、奄美の島唄にも発祥の理由があります。明治維新にリーダーシップを取った薩摩藩(鹿児島)も、奄美における砂糖の収益が無ければ倒幕は成し得なかったと言われています。そのために死ぬか砂糖を作るかのギリギリの奴隷生活を強いられ、蹂躙される島民の苦しみを癒すために生まれたのが島唄でした。島唄を聴いてみると決して重苦しい雰囲気ではなく、どこかあっけらかんとした中に明日への渇望が満ち溢れている、そんな印象を受けます。インターネットでも多数配信されているので、是非聴いてみてください。

くろちゅうと島唄


島唄の詳しい事を語るには、膨大なページ数が必要なのでここでは大まかな事しか掲載できませんが、島唄について少しでも興味を持たれたなら幸いです。島唄に関しての情報は他のサイトで詳しく掲載されております。島唄を聴きながら奄美の歴史を紐解きくろちゅうを飲む・・・浪漫に溢れたいい夜が過ごせそうですね。

奄美島唄研究者の片倉輝男さん
奄美の島唄に関するリンク


 喜界島今昔(片倉輝男さんのHP)

 奄美の島唄・ラジオ喜界島

 奄美の島唄と三味線がよくわかるサイト

 朝崎郁恵公式サイト

 奄美音楽情報
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