このページでは酒にまつわる話や、いろんなエピソードなど書き綴っていきたいと思います。
     
VOL23:日本の神話と酒造り (H21.9.3)
酒造りの伝来

 日本の酒造りの技術は古事記や日本書紀などの文献によると5世紀初期の頃、百済を経て中国から伝えられたものと考えられています。その頃の酒は、果物や穀類を自然発酵させたもろみをそのまま飲むもので、一種の醸造酒であり、にごり酒に属していました。焼酎のようにもろみを熱して蒸留した蒸留酒が飲まれるのはそれからかなり後になります。
神話にも登場していたお酒

日本の神話によると高ケ原を追われた須佐之男命(すさのをのみこと)が、出雲の肥の川上の鳥髪というところで「八塩折の酒」を造り、それを大蛇(おろち)に飲ませ、これを退治したという神話がありますが、この神話に出てくる酒は日本書記に「なんじ衆果をあつめて酒八甕を醸すべし)とあるように、果実から造られた酒であることがわかります。かなり強い酒だったようです。
米のお酒を造った姫

 一方、米で作られた最古の酒は、日本書記の中で述べられている「天甜酒」(あまのたむざけ)ですが、天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのみこと)は逢初川で大山祇命(おおやまつみのかみ)の娘、木花開耶姫(このはなさくやひめ)を見初めらて妻にむかえました。木花開耶姫は絶世の美女であり「天甜酒」を造ったと言われており、清酒の神様の一人とされています。西都原古墳群の一つ男挟穂塚は瓊瓊杵尊と木花開耶姫の陵墓といわれており、また宮崎県西都市には木花開耶姫を祭った都万神社があります。この神社には「日本清酒発祥の地」という標柱が立っています。この神社の西方に児湯の池があり、その昔、その付近の一帯は良質の米が採れ、この米と水で「天甜酒」が造られたのだと言われています。
酒の神様を祭った神社

 日本には酒の神様を祭った神社が多数存在しますが、有名なものとして梅宮大社(京都市)松尾神社(京都市)三輪神社(奈良県)などがあります。松尾大社が所蔵する『酒由来の事』に、「当社を酒の神とあがめ奉るは、神代の昔八百万の御神々、分土山(松尾山・別雷山)に集い給ひて、皇国の守護を分かち給う時、諸神加熱をなし給う。その時酒というものなく、ただ水を以て例を行い給う事、御神の御心にやすからすおほしめし、山田(嵐山)の米を蒸し東流の清水を汲み一夜に酒を造りて大杉谷の木をもって器をこしらへ、諸神達江饗応し給いけれは、諸神達よろこはせ給いてうたはせ給いける。尽くせしな甕の酒を汲み上げて豊の円居をするそたのしき。」との記録があります。
 大山祇命と木花開耶姫は梅宮大社にも祭られており、大山祇命は本来農業の神様でした。日本書記の「神代記」に「カムアタカアシツヒメ」が狭名田という田で採れた稲を使って「天甜酒」を造ったとありますが木花開耶姫の事を指していると思われます。三輪神社の祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)と一身同体の大国主命(おおくにぬしのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)ですが、大国主命は出雲大社の祭神であり、父が「八塩折の酒」を造った須佐之男命(すさのをのみこと)であることから「酒の神様」という位置づけがうなづけます。少彦名命は神話では酒造りを教えた神様と言われています。
神話でわかるお酒の歴史

 このように神話の中にも酒、酒造りが登場することで酒の歴史がわかります。木花開耶姫は神武天皇の曽祖母にあたり、神武天皇が活躍された時代はおそらく、西暦280〜300年頃と言われています。古事記や日本書記は神武天皇の五代前が天照大神と伝えているので、天照大神の時代は220年〜250年頃と推測されます。神話がどの程度の史実を伝えているか定かではありませんが、いずれにせよ712年に古事記が書かれた頃にはすでに西暦250年頃の酒造りの伝承が伝えられていたことは確かです。このように酒の歴史は神話の世界に及ぶほど長い歴史があると言えるでしょう。
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